他にクニッペルのチェロとオーケストラのためのコンサートポエムが収録されています。
弦楽のためのシンフォニエッタは社会主義音楽の鋼鉄の響きです。1楽章ソナチネ、2楽章アリア、3楽章インテルメッツォ、4楽章フィナーレ。シンフォニエッタとかソナチネとかアリアとかいう穏やかな古典的な言葉が吹き出したくなるほどイメージのかけ離れた、ゴリゴリのソ連音楽。それでも1楽章はフーガやユニゾンの部分がどこかヒンデミット風。アリアは文字通りの空気感がソ連。ああもしかしてソ連と言ってももう感覚として通じないことが多いのかもしれませんね。1953年の作品ですから、スターリンの亡くなった年です。スターリンが亡くなったのでドイツ・ヒンデミット風味を存分に出してみたのかもしれません。
コンサートポエムは、いきなりカデンツァ的な始まり方で、チェロががちゃがちゃと鳴り、第一印象は「わかりにくい」。打楽器の存在感が強く、「チェロとオーケストラのための」というタイトルですが、打楽器が鳴るのを心待ちにしてしまいます。
曲の中ほどでリズミカルな攻撃的な雰囲気が始まり、ここでも打楽器が印象的で、曲の雰囲気をまたがらりと変える役割を担っています。終盤のカデンツァは「もういらない」となるくらい、チェロの断片的テーマが重なり合っている曲。
ミャスコフスキーの交響曲第7番は、切れ目のない単楽章ですが4部構成です。6番の交響曲を作曲している間に作曲、6番より先に完成しているようです(1922年)。
弦がじわじわと低く鳴らしている上に木管がなかなか盛り上がらないテーマを奏で、しびれを切らして弦が鳴るかと思っても、なかなか思うように感情がはじけてこない忍耐強い音楽。ミャスコフスキーらしいといえばらしいです。いつまでも暗闇でうねうねしているかと思えば、牧歌的な旋律もあり、終盤はscherzando et tenebroso スケルツァンドで暗闇のように。
ただミャスコフスキーといえば息の長いメロディを思い浮かべる自分には、断片的なスケッチ的な作品のように感じてしまいます。大作6番の合間に、別の思いをつぎつぎと投入してみたような作品、そんな風に感じました。
OCD 163 Knipper Symphonietta for strings (1953) / Myaskovsky Symphony No.7 |
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